ガルシア=マルケス著「百年の孤独」が文庫本化されるそうだと、どこかのサイトで目にしたのは、おそらく今年の春先だったと思う。1967年に刊行された作品が、なんと50年余りの時を経て文庫本化されるという。
わたしはその記事を目にしながら、20数年前の記憶をゆっくりと手繰り寄せた。
多感だった20代に読んだガルシア=マルケス。どんな物語だったかはさっぱり記憶していないが、そこにあった、なんだか幻想的な空気感だけは今でも思い出すことができた。
どんなストーリーだったろう?
もう一度、読んでみようか。
長い時間のせいで手元に本は残っていなかったので(良い本はすぐに人に貸してしまうので大抵手元に残らない…)、改めて購入することにした。そして私は文庫本を買おうか、単行本を買おうか先日まで悩んでいた。
どうせなら重みのある単行本を、部屋のインテリアも兼ねて。
いやいや、文庫本化された記念に、やはり文庫本を。
そんなこんな。忙しさも手伝って、なかなか決めきれずの数ヶ月だったが、先日とあるきっかけで文庫本を買うことに決めた。なぜなら、心躍る革製の文庫本カバーにであったからだ。グレーのワックス仕上げのそれは、わずかな張りを持ちながら、さらりと手に馴染んだ。
乱暴に使ってくれて構わないよ。
僕は誰よりもタフだからね。
それはわたしの手の中で、おおらかに胸を張っているようにみえた。
きっと。
時間が経てばワックスは擦れた箇所から次第に変化していくだろう。
そして。
剥がれたワックスの向こうには、もうひと色濃いチャコールグレーの表皮が顔を出す。
さらに。
時間が経てば、革の中のオイルの酸化と紫外線により、茶色味がかったエイジングを見せてくれる。
よく触れているところと、そうでないところとの色味のコントラストは、使い手そのものを表している。使い手の数だけ、モノの表情があることが愛おしい。
知らぬ誰かのそれをみて。
どんな人か想像してみて。
話してみて、わかり合ったっりしてみて。
そしてもう一つ。
ブックマーク、ブックバンド付きで至れり尽くせりなブックカバーだが、個人的には開いたときにあるポンチ穴がツボだ。表紙を挟み込み、本をセットしたときに、おもて表紙の裏にあるポンチ穴から、著者の顔がひょっこりとのぞく。そう。頭に本を三度笠のように被ったガルシア=マルケス。あの、人をくったような素振りの彼が、そこから私たちをそっとのぞくのだ。
シンプルで洗練されたブックカバー。
その中に、密かに遊び心がある。
使ってみたい。
そんな衝動が「百年の孤独」を文庫本で再読しようと決めたきっかけだった。
オーダーをして1ヶ月後に届くブックカバー。
それがくるのが待ち遠しくて、既に書店で文庫本を買った。
ブックカバーがやってきて、本をセットする。
それまで読みはじめないと決めて、先日からワークデスクの脇にある文庫本。
それを眺めながら、物語の世界を想像し。
ブックカバーの使い心地を想像し。
その経年変化を想像する。
心はモノに命を宿し。
モノは心に火を灯す。
それがガルシア=マルケスと、文庫本カバーが教えてくれたことだった。
靴作家・森田圭一
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